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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)3165号 判決

控訴人 (現戸籍上・新屋はつ) 土屋はつ

右訴訟代理人弁護士 渡辺邦之

被控訴人 土屋彰

右訴訟代理人弁護士 大和田忠良

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を却下する。」との判決を、予備的に「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。

本訴請求の原因に関する被控訴代理人の主張は、原判決の事実欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(当事者双方代理人の当審における陳述)

一  控訴代理人の陳述

(一)  原審における訴訟手続は、控訴人に対する送達につきすべて公示送達の方法を用いることによって進められたものである。

(1) 被控訴人は、控訴人がこの判決中控訴人の肩書住所に居住していることを知りながら、控訴人の所在が不明であるとして公示送達の申立をしたものであるところ、原審裁判所においては十分な調査を行うことなくその申立を許可したものである。従って、右公示送達は無効であり、原判決の控訴人に対する送達は、控訴人が昭和四六年一二月八日原審裁判所の裁判所書記官からその正本の直接交付を受けた時に始めて適法になされたものである。さすれば、同年同月八日受理の控訴状の提出によってなされた本件控訴は、法定の期間内に提起されたものとして適法である。

そもそも被控訴人は本訴を提起する当時控訴人の住所を熟知していたのであるが、そのことは左記事情によって明らかである。

(イ) 控訴人は、昭和三八年二月一〇日、当時の住所地である埼玉県蕨市大字蕨三四七六番地から東京都品川区西五反田五丁目三一番一二号、ついで昭和三四年三月二五日右同所から同区西五反田六丁目一〇番一号駒形(理佐久)方にそれぞれ届出のうえ転出し、さらにその後東京都北多摩郡狛江町和泉五四四番地富士見荘内に、続いて現住所に転居したのであるが、駒形理佐久にはその後における住所移転の都度これを通報して、同人方宛てで控訴人に郵便物が配達された等の場合には、直ちに連絡してもらえる処置を講じて置いた。

(ロ) その間昭和四二年一二月九日被控訴人は、その所有の東京都品川区西五反田五丁目一五九番の二宅地及びその地上建物と控訴人所有の埼玉県蕨市北町一丁目三四七六番二宅地及びその地上建物との交換等に関する契約を控訴人と締結したのであるが、その契約書(乙第九号証)においては控訴人の住所が「東京都品川区西五反田五丁目三一番の一二」と明示された。従って被控訴人が本訴請求の原因において主張しているごとく、昭和三一年五月頃から控訴人が所在不明となったというようなことはありえようはずがない。

(ハ) 被控訴人は、昭和四三年一二月五日、控訴人を相手方として東京家庭裁判所八王子支部に離婚調停の申立をした(同庁昭和四三年(家イ)第七五七号事件)のであるが、その申立書に控訴人の住所として記載された東京都北多摩郡狛江町和泉五四四番地富士見荘内には当時控訴人が居住していなかったところ、控訴人に対する調停期日呼出状が送達されず、控訴人としては期日に出頭するに由がなかった。ところで、その後昭和四四年四月二二日頃弁護士渡辺邦之(控訴代理人)が右調停申立の相手方である控訴人の代理人として、調停裁判所に控訴人の住所は東京都北多摩郡狛江町岩戸一一一二番地にある旨届出たのであるから、被控訴人は、当然控訴人の右住所を知りえたものである。にもかかわらず、爾後においても控訴人及びその代理人のいずれに対しても調停期日についての呼出がなされないまま、被控訴人が同年六月四日申立を取下げたため前記調停事件は終了するに至った。

(ニ) さらに、被控訴人は、昭和四四年六月一八日頃控訴人に対し東京都北多摩郡狛江町岩戸一一一二番地北洋荘宛てに配達証明付書留郵便物を発信し、同月二〇日配達された旨の証明書を受領しているのであるから、当時控訴人の住所が右北洋荘内すなわち現在地にあることを確認しえたのである。

(2) 仮りに原審における控訴人に対する公示送達が有効であったとしても、控訴人が被控訴人の本件離婚請求を認容する原判決の言渡されたことを現実に知ったのは、昭和四六年一二月一日である。すなわち、控訴人は、弁護士渡辺邦之(控訴代理人)から原判決が確定したとして戸籍に控訴人と被控訴人との離婚が登載されているとの通知を右同日受取ったことにより、原判決に対する控訴期間の経過後に始めてその事実を知るに至ったのである。しかしながら控訴人において原判決に対する控訴期間を遵守することができなかったのは、その責に帰すべからざる事由によるものであるところ、本件控訴は、前記のとおり控訴人が原判決言渡の事実を知った昭和四六年一二月一日から一週間内である同年同月八日に提起されたものである。従って本件控訴は適法である。

(二)  控訴人の所在が昭和三一年五月頃から不明となり、爾来その生死も明らかでないことを原因とする被控訴人の控訴人に対する本件離婚請求は理由がないものというべきである。

二  被控訴代理人の陳述

本件控訴は不適法である。

(一)  原審における控訴人に対する公示送達はすべて有効である。被控訴人は、本件訴を提起するに当り控訴人の住所を知るに由なく、やむをえず控訴人に対する公示送達の申立をしたのであるが、その間の事情は、以下に述べるとおりである。

(イ) 被控訴人は、昭和三一年五月四日頃控訴人とともに、東京都品川区西大崎二丁目一五九番地(その後住居表示の変更により同区西五反田五丁目三一番一二号となる。)から埼玉県蕨市大字蕨三四七六番地(現在は蕨市北町一丁目二二番二号)に転居した。控訴人は、その際被控訴人と一緒に荷物運びをしたのであるが、転居先に約一時間程いたのみで旧住所に戻り、さらに二、三日後被控訴人の不在に乗じて転居先から自ら荷物を持去りそのまま行方を晦らましてしまった。

(ロ) 被控訴人は、本件訴を提起するため控訴人の住所を調査するについて、蕨市役所備付の自己の住民票をみれば控訴人の再転出先が判明するかも知れないと考えて、昭和四六年四月一三日右住民票の写(甲第二号証)の交付を受けた。ところが、これには被控訴人のみが昭和四〇年九月二〇日に東京都品川区西大崎二丁目一五九番地から転入したとだけ記載されていて、右調査の目的には役立たなかった。しかも、右住民票においては、被控訴人の転入の日時が実際の転入日である昭和三一年五月四日頃とは異って記載され、かつ、控訴人の転入については全然記載されるところがなかった。そその理由は詳らかでないが、恐らくは何人かが一旦被控訴人と控訴人において前記転居先に転入した旨の届出をした後さらに控訴人が単独で他に転出したとして届出た(当審において控訴代理人から乙第五号証が提出されたことにより、控訴人が昭和三八年二月一〇日埼玉県蕨市大字蕨三四七六番地から東京都品川区西五反田五丁目三一番一二号への転出届をしていたことが分明した。)ところ、控訴人についての右転出届の時から五年を経過するとともに、被控訴人と控訴人との同時転出届出に基づいて作成された住民票の原本は、その保存期間が満了したとして廃棄処分に付され、何人かによる別途届出にかかる被控訴人のみについての住民票(甲第二号証の原本)が蕨市役所に備付けられていたものと考えられる。

(ハ) そこで、被控訴人は、やむなく町会長吉川豊蔵作成にかかる控訴人に関する不在証明書を添付して原審裁判所に控訴人に対する公示送達の申立手続をとり、原審裁判所においても蕨警察署長に控訴人の所在についての調査を依頼したが成果を得られなかったところから、右申立を許可したのである。

控訴人は、被控訴人が本訴を提起する当時控訴人の住所を熟知していたとして、その間の事情につき種々主張するけれども、これに対して次のとおり反論する。

(イ) 控訴人は、その転出先が住民票に東京都品川区西五反田六丁目一〇番一号駒形(理佐久)方と記載されており、ここに控訴人宛ての郵便物が配達される等のことがあれば、直ちに控訴人に連絡される手はずを整えて置いたと主張する。しかしながら、被控訴人としては、本件訴を提起する当時に控訴人について右のような住民票が作成されていることなど知る由もなかったのであり、上述のとおり考えうる限りの調査方法を尽したにもかかわらず、控訴人の住所を発見することができなかったのである。

(ロ) 被控訴人が昭和四二年一二月九日控訴人とその主張のような宅地建物の交換等に関する契約を締結したのは、当時既に久しく別居中であった控訴人と事実上の離婚をするについて控訴人に対し慰藉料を支給する意思に基づいたものである。そのための契約書(乙第九号証)は、立会人となった弁護士芹沢孝雄の呼出に応じて同弁護士の事務所に出頭して作成したものであるが、当時被控訴人としては、右契約の締結により控訴人との事実上の離婚が成立するものと考えていたので、乙第九号証に記載された控訴人の住所は一時的なものに過ぎず、控訴人のための住民票は蕨市役所に備付けられているものとばかり信じていたのであって、乙第九号証における控訴人の住所地を管轄する東京都品川区役所に控訴人の住民票が備付けられているなどということは思いも及ばなかったところであり、ましてや同区役所から控訴人の住民票の写の交付を受けるというようなことは考えつきもしなかったのである。従って控訴人の右住民票について調査し、控訴人が東京都品川区西五反田五丁目三一番一二号(乙第五号証に表示された控訴人の住所地)からさらに同区西五反田六丁目一〇番一号駒形(理佐久)方に転出していることを知って原審当時ここに本件訴に関する訴訟書類を送達すれば、それが控訴人に確実に到達するはずであったというに至っては、被控訴人に対し不結を強いるにほかならない。

(ハ) 被控訴人が控訴人の主張するとおり控訴人を相手方として東京家庭裁判所八王子支部に申立てた離婚調停事件については、昭和四四年一月から四月までの間に毎月一回合計四回にわたり控訴人に対する呼出がなされたけれども、控訴人は一度も出頭しなかった。そのため被控訴人としては、控訴人が東京都北多摩郡狛江町和泉五四四番地富士見荘にも、同町岩戸一一一二番地北洋荘にも居住していないものと思ったところ、調停委員の勧めもありこれに応じて調停の申立を取下げることとしたのである。

(ニ) 被控訴人が昭和四四年六月一八日頃控訴人に対し東京都北多摩郡狛江町岩戸一一一二番地北洋荘宛てに配達証明付書留郵便物を発信し、同月二〇日配達された旨の証明書を受領したことは、控訴人の主張するとおりである。しかしながら、右宛先は訴外佐藤鉄雄から控訴人の住所として聞知したものであるに止まり、被控訴人においてその真否を確認したものではなかった。被控訴人は、右郵便物により控訴人に対しその不貞をなじり離婚を請求したのであるが、何らの応答もなかったところから、右郵便物が控訴人に関係のある何人かによって受取られはしたものの現実に控訴人の手には渡らなかったものと考えていたのである。

叙上これを要するに、控訴人主張の各事情は、被控訴人が本件訴の提起当時に控訴人の住所を知っていたことを裏付けえるものではないというべきである。

(二)  控訴人が原判決の公示送達による控訴人に対する送達を知ったのがたとえその主張するとおり昭和四六年一二月一日であったとしても、右判決送達の時から進行を始めた原判決に対する控訴期間を遵守することをえなかったのは、控訴人の責に帰すべからざる事由に基づくものであるとはいい難い。すなわち、控訴人は、被控訴人とともに前述のごとく昭和三一年五月四日頃埼玉県蕨市大字蕨三四七六番地に一旦転出しながら、その後被控訴人に無断で東京都品川区西五反田五丁目三一番一二号へ転出し、さらに住所を転々移動して来たのであるから、被控訴人において控訴人の現住所を知るに由なく、やむを得ず控訴人に対する公示送達の申立をなし、原審裁判所も調査の手段を尽したものの目的を遂げられなかったとして右申立を許可して原審における訴訟手続を控訴人に対する送達につき公示送達の方法によりつつ進めたのは、専ら控訴人の故意又は少くとも過失にその原因があるものといわざるをえないからである。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一  まず本件控訴の適否について判断する。

原審記録によると、原判決の控訴人に対する送達は、その正本を昭和四六年七月一日浦和地方裁判所の掲示場に掲示した公示送達の方法によるものと、同正本を同年一二月八日原審裁判所の裁判所書記官森田満夫が控訴人に直接交付した方法によるものとの二度にわたって行われていることが認められる。

(一)  控訴人は、公示送達の方法による控訴人に対する原判決の送達は無効であると主張する。しかしながら、公示送達に関する当事者の申立が裁判長(一人制の裁判所の場合にあってはこれを構成する裁判官)により許可された場合においては、公示送達の要件に欠けるところがあったとしても、右許可に基づいてなされた公示送達は有効であると解するのを相当とする。原審における控訴人に対する各公示送達は、昭和四六年四月一四日付書面をもって被控訴代理人からなされた申立を原審裁判所の裁判官が許可したことに基づいてなされたものであることが原審記録により明かである。してみると、前記公示送達の方法によってなされた控訴人に対する原判決の送達はこれを無効であると解すべきではなく、民事訴訟法第一八〇条第一項但書の規定により上記認定のごとく原判決正本の掲示を始めた日の翌日であることが明らかである昭和四六年七月二日にその効力を生じた(原審記録中原判決に関する公示送達報告書に送達の日が昭和四六年七月三日と記載されているのは正確ではない。)ものというべきである。

本件控訴が昭和四六年一二月八日に提起されたものであることは、その控訴状に押捺された受付印の日付によって明らかである。さすれば、本件控訴は、原判決が前記のとおり控訴人に有効に公示送達された日より二週間の不変期間を経過した後に提起されたものといわなければならない。

(二)  控訴人は、予備的に、民事訴訟法第一五九条の規定に基づく訴訟行為の追完により本件控訴は適法とされるべきものであると主張する。

公示送達が適法になされたときに、受送達者がその事実を了知しないで不変期間を徒過したとはいえ、その不知につき過失がないものと認められる場合においては、その者のために訴訟行為の追完を許すべきものであると解するのが相当である。ところで、受送達者が相手方(公示送達申立人)の権利行使のためにする訴の提起を妨げる目的をもって所在を晦らましたために公示送達を余儀なくされた場合には、受送達者に過失がないとはいえないけれども、公示送達申立人において相手方(訴において被告とされるべき者)の住所を知りながらこれを不明であると称して公示送達を実施させた場合には、受送達者に過失はないものというべきである。以下本件の場合につき、原審における控訴人に対する送達、特に原判決の送達が公示送達の方法によりなされたことを控訴人がその過失に基づかないで知らなかったかどうかに関し考察する。

(1)  ≪証拠省略≫によると、次のような事実が認められる。

(イ) 被控訴人(本籍埼玉県比企郡都幾川村大字西平一九三七番地の二)を筆頭者とする戸籍の附票中に、被控訴人及び控訴人の住所の転々経過が左のように記載されている。

被控訴人及び控訴人はともに、昭和三一年五月四日蕨市大字蕨三四七六番地に住所を定めた。

被控訴人は、昭和四〇年九月一一日東京都品川区西大橋(西大崎の誤記とみられる。)二丁目一五九番地に住所を定めた(但し、この記載は、「(昭41・1・12住民票職権消除)」と注記して抹消されている。)。

控訴人は、昭和三八年二月一〇日東京都品川区西大崎二丁目一五九番地に住所を定め(この記載に続いて「同西五反田五丁目三一番一二号(昭和40・2・1住居表示変更)」なる注記がなされている。)、ついで同(西五反田を意味する。)六丁目一〇番一号駒形方に住所を定めた(この記載は、これに続く「昭和四拾六年七月弐拾日離婚」なる登載がなされた際のものと考えられるが抹消されている。なお、右駒形方への住所設定の日付は記載されていないところ、控訴人(本籍埼玉県比企郡都幾川村大字西平一四四八番地。なお、控訴人の氏名は「新屋なつ」と表示されている。)の戸籍の附票においては、右日時が昭和四四年三月二五日と明記されている。)。

(ロ) 埼玉県蕨市役所備付の被控訴人を世帯主とする住民票に、被控訴人が昭和四〇年九月二七日東京都品川区西大崎二丁目一五九番地から蕨市大字蕨三四七六番地(現在の表示は同市北町一丁目二二番二号)に転入したものと記載されている。

(ハ) 東京都品川区役所備付の控訴人(その氏は「土屋」から「新屋」に訂正されている。)を世帯主とする住民票に、控訴人が昭和三八年二月一〇日埼玉県蕨市大字三四七六番地から東京都品川区西万反田五丁目三一番一二号に、さらに昭和四四年三月二五日同区西五反田六丁目一〇番一号駒形方にそれぞれ転入したものと記載されている。

(2)  ≪証拠省略≫によると、控訴人は、昭和四三年四月中前記駒形(理佐久)方から東京都北多摩郡狛江町(現在は狛江市。以下この現称による。)和泉五四四番地富士見荘に、さらに同年一二月中同所から狛江市岩戸一一一二番地北洋荘にそれぞれ転居したこと(もっとも、先に認定したとおり住民票及び戸籍の附票においては、控訴人の右駒形方への住所移転の日時は昭和四四年三月二五日と記載されている。)、控訴人は、右駒形から転居後においても、駒形方宛てで控訴人に郵便物が配達された等の場合には廻送その他の方法により控訴人に連絡してもらうよう依頼してあったことが認められる。

(3)  ≪証拠省略≫を総合すると、左記の事実が認められる。

(イ) 詳しくはこの項の(1)において認定したとおり、控訴人は、昭和三一年五月四日被控訴人とともに東京都内から蕨市内に一旦転入した後、昭和三八年二月一〇日単独で右転入先から東京都内に転入したのであるが、控訴人と被控訴人は、当時既に別居生活を続けていた。

(ロ) 昭和四二年一二月九日、被控訴人と控訴人との間に、被控訴人の所有する東京都西五反田五丁目一五九番の二宅地一〇〇坪一合及びその地上に存する木造瓦葺平家建倉庫建坪一二坪と控訴人所有の埼玉県蕨市北町一丁目三四七六番二宅地三三坪二合一勺及びその地上に存する木造スレート葺平家建居宅建坪一三坪二合五勺とを交換すること及びこれに関連する事項を内容とする契約が締結され、これについての契約書が作成されたが、控訴人は、その住所を東京都品川区西五反田五丁目三一番の一二と表示してこれに署名捺印した。

(ハ) 被控訴人は、昭和四三年一二月五日、控訴人を相手方として東京家庭裁判所八王子支部に控訴人との離婚を求める調停を申立て(同庁昭和四三年(家イ)第七五七号事件)、控訴人の住所を東京都北多摩郡狛江町和泉五四四番地富士見荘内と申立書に記載した。右調停事件においては、昭和四四年二月五日、同年三月一二日及び同年四月一六日にそれぞれ期日が開かれているが、控訴人はいずれの期日にも出頭していない。ところが、その後本件における控訴代理人である弁護士渡辺邦之が右調停事件における相手方である控訴人の代理人として、同年四月二二日に発信した調停裁判所宛ての葉書をもって、控訴人の現住所は東京都北多摩郡狛江町岩戸一一一二番地(電話番号をも付記)であるから、爾後の期日呼出状は右住所宛てに控訴人本人又は同弁護士にその住所に宛てて送達されるよう上申したが、同年六月四日の期日において出頭した被控訴人より取下書が提出されて事件は終了するに至った(控訴人又はその代理人に対して右最終期日についての呼出がなされたかどうかは、甲第六号証の一ないし一〇の調停事件記録からは不明である。なお、当審における被控訴人本人尋問の結果中には、前記のとおり四回に及ぶ調停期日についてはその都度控訴人に対し呼出手続が行われた旨の供述が存し、この点に関する当審における控訴人本人尋問の結果と相反するが、そのいずれを措信すべきかについては触れない。)。

(ニ) 被控訴人は、昭和四四年六月一八日東京都北多摩郡狛江町岩戸一一一二番地北洋荘内宛てで控訴人に対し配達証明付書留郵便物を発信した(乙第四号証はその封筒)ところ、同月二〇日右郵便物が控訴人に配達された旨の調布郵便局の郵便物配達証明書が折返し郵送されて来た。

≪証拠判断省略≫

(4)  叙上(1)ないし(3)における各認定事実を総合して案ずるに、被控訴人は、少くとも、前段(3)の(ニ)において認定したところにかかる被控訴人から控訴人に宛てて発信した書留郵便物が昭和四四年六月二〇日に控訴人に配達されたことを調布郵便局の証明書によって確認した時点において、控訴人の住所が右郵便物の宛先にあることを知ったものと認めるべきである。≪証拠判断省略≫

ところで、原審記録中の訴状及び昭和四六年四月一四日付公示送達の申立書によれば、被控訴人は、被控訴代理人に委任して同年三月一三日本件訴を原審裁判所に提起したのであるが、その訴状において控訴人は現住所在不明であると記載され、ついで被控訴代理人により前示公示送達の申立書による申立がなされたことが認められ、右のとおり被控訴人が昭和四四年六月二〇日頃控訴人の当時の住所を了知した時から本件訴の提起された昭和四六年三月一三日までの間には約一年九箇月を経過しているとはいえ、その間において控訴人の住所に異動がなかったことは、弁論の全趣旨に徴して明らかである。にもかかわらず、本件訴状を検するに、被控訴人の知りうる控訴人の最後の住所が「埼玉県蕨市北町一―二二―二二」(正確には同市北町一丁目二二番二号)と記載されていることを合わせ考えるときは、被控訴人は、控訴人の現住所を知りながら控訴人の所在が不明であるとして、被控訴代理人をして本件訴を提起させ、かつ、控訴人に対する公示送達の申立をさせたものと認めるほかないものといわなければならない。≪証拠判断省略≫他面、控訴人が被控訴人の本件訴の提起を妨げる目的をもってその所在を晦らまし、原審において控訴人に対し公示送達の手続がとられることをやむなくさせたものとみるべき事情は、本件に顕われたすべての証拠をもってしても認めることができない。

さて、≪証拠省略≫によると、控訴人は、昭和四六年一二月三日頃控訴代理人から、原判決が同年七月一七日に確定したことを理由とする被控訴人と控訴人との離婚の届出が既に受理されて戸籍に登載されている旨を電話連絡により知らされ、驚いて原審裁判所に出頭のうえ、原判決が既に確定したものとして処理されていることを確認したことが認められるところ、上掲(一)において説示したとおり、本件控訴の提起された日時は昭和四六年一二月八日である。してみると、本件控訴は、控訴人において原判決が公示送達の方法により控訴人に送達されたことを知った時(特段の事情のない限り、控訴人が控訴代理人より前記認定にかかる電話連絡を受けた日に当るものとみるべきである。)、すなわち、控訴人が原判決に対する控訴期間を遵守することができなかった事由の止んだ時から一週間内に懈怠した訴訟行為を追完することにより提起されたものであることが明らかであり、その追完については理由があるものと認めるべきであるから、この点において本件控訴は違法であると解するのが相当である。

二  よって被控訴人の本訴請求の当否について判断する。

≪証拠省略≫によると、被控訴人と控訴人は昭和一二年一〇月一八日婚姻した夫婦であることが認められる。

被控訴人主張の請求原因(原判決一枚目裏七行目から同一一行目までにおいて摘示されている。)によれば、被控訴人が控訴人との離婚の原因として主張する事実の骨子は、控訴人が昭和三一年五月頃突然所在不明となり、その後控訴人は生死不明であるというにあるので、本件訴は、民法第七七〇条第一項三号に掲げる場合を離婚原因とするものであることが明らかである。しかしながら、前出一において詳細判示したところに照らして、そのような離婚原因の存在は認められないものというべきである。

してみると、被控訴人の本件請求は理由のないものとして棄却すべきであるところ、原判決は被控訴人の本訴請求を認容したものであるからこれを取消し右請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条及び第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑原正憲 裁判官 西岡悌次 青山達)

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